どうも! 素久です!
いやー、本当に暑い!まだまだ残暑だな!と思っていたらひんやりする日も出てきて少しほっとしますね。
今回は真夏の話題になります。
夏の風物詩と言えば、海水浴やスイカや花火などなどたくさんありますが、中華楼のある浅草橋で、といえばやはり隅田川花火大会ですね。
隅田川の花火大会はこの間の7月26日に無事開催されましたが、去年が突然の大雨で史上初めての途中中止という事態に見舞われましたが、今年は去年の分も2年分の花火を楽しみにされていた方が多いのではなかったでしょうか。
隅田川花火大会は今年で37回目。もっと歴史が長いと思うけどな~、と調べてみました。
隅田川花火大会の始まりは1732年。暴れん坊将軍で有名な8代将軍・徳川吉宗が隅田川河畔で催した、死者の霊を弔う法会に遡るとのことです。
翌年には前年にならって、さらに慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に水神祭を実施。その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされる。この当時は20発前後の花火で、かなりのんびりとしたものであったそうです。そして明治維新や戦争などで中断していて、現在の花火大会の形になって37回目だということです。
やっぱりルーツというか、さすが歴史は長いものだなと思います。
ちなみに掛け声の「かぎや~」「たまや~」は江戸時代の当時、鍵屋と玉屋という二つの花火屋が打ち上げをし、技術を競っていたことに由来しているだそうです。
2代目に隅田川花火大会の話を聞いてきました。
現在の隅田川花火大会になる前、およそ50年くらい前までは両国橋のところで花火を打ち上げていたそうで、現在よりもだいぶ川下で花火をあげていたそうです。中華楼に近い場所であげていたのですね。両国のところにある花柳会の料亭が桟敷を敷いてお客様に花火を見せていたそうです。
ちなみに名称も、地元では「両国の花火」と呼んでいたそうです。
当時の中華楼は花火大会の日に営業していたそうで、打ち上げの場所も近くだったため、花火大会の日は大盛況だったと言っていました。両国橋で花火大会が開催されていた時は、2代目は花火を見られなかったといっていました。それぐらい賑わっていたんですね。
江戸の時代から続く大事な伝統文化になった、隅田川の花火大会も大切にしていければ楽しいですね。
歴史が続いているということでは中華楼も同じ。しっかりとみんなで歴史を繋いでいきます。